非欧州世界に上がる戦火 2
実際には、両国は脱冷戦への制度づくりをアジア・太平洋地域からではなく、やはり欧州世界から始めることになりました。
もっとも、ゴルバチョフが86年7月のウラジオストク演説で、最初の本格的な軍縮和平への呼びかけを行ったとき、その眼差しはどこよりもアジア・太平洋地域に注がれていました。
同演説の中でゴルバチョフは、まず隣国である中国との関係改善を呼びかけていました。
この目的のためアフガニスタンからのソ連軍の撤退を部分的に開始すること、また対中国境のモンゴルに駐留するソ連軍を一部削減することなどを約束もしました。
同時に彼は、対中関係の改善を基礎として、アジア安保会議を設立することを提唱もしました。
ゴルバチョフが中国との関係改善を手始めにして軍縮和平の体制づくりに入ろうとしたのは、ある意味で当然でした。
・・・というのもアメリカもまた、かつてベトナム戦争の末期、インドシナ半島からの撤兵とアジア地域における軍事介入全般を削減する戦略転換を行うにあたって、1972年にまず中国との関係改善から着手したからです。
しかし、実際にゴルバチョフのウラジオストク演説後に始まった軍縮和平の交渉は、アメリカを相手にするものでした。
こうして86年10月レイキャビクにおいて軍縮和平のための最初の米ソ首脳会談が開かれ、その後、前述のように欧州世界を中心として脱冷戦への制度づくりが急速に推進されたのです。