流転の反逆児
沖縄ツアーなどで全国から観光客を集める沖縄。
そんな沖縄には、ある伝説があります。
源為朝、通称鎮西八郎為朝は、弓箭の名手で、剛勇無敵の武将であったといいます。
『保元物語』によれば、身の丈七尺あまり。
彼の弓から放たれた鏑矢(風でうなるようにした鏑を矢の先につけたもの)は、天皇方の将軍義朝の甲の星を七つ八つ射けずって、はるか後方の宝荘厳院門の厚さ五、六寸ばかりの扉の金物をくぐって、矢の半分ほどが突きささったといいます。
しかし、そのような武勇も空しく、彼の属した崇徳院方が保元の乱で敗れて、彼は伊豆大島に流されました(1156年)。
崇徳院側の武将のほとんどが斬首されたなかで、朝廷が彼の弓の才を惜しんで、死罪を免じたのだといわれています。
彼は源為義と遊女のあいだに生れた八男で、小さいときから反逆児だったため、13歳のとき九州に追われました。
そこでもその剛勇によって覇をなし、朝廷に従おうとしなかったそうです。
伊豆大島に流されてからも、七島を支配して国司に反逆したため、追討をうけて自害しました。
日本では、このような薄命の英雄に同情するいわゆる判官(よしつね義経)びいきの国民感情があって、為朝についても『保元物語』いらい幾多の伝説があります。
『保元物語』では、為朝は伊豆大島から鬼ガ島に脱出して、附近の七島を支配し、そこで追討をうけて自害したことになっていますが、その鬼ガ島は琉球だとする伝説が、滝沢馬琴の『椿説弓張月』などにも書かれて、有名です。
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